もうあれで、俺の人生は決まりました|Zeebra インタビュー#1

Project2」のテーマである“Healthy Junk”の精神をもとに、ゲストに潜む相対する中身、二面性にフィーチャーしていく特別インタビュー。今回のゲストは、もはや説明不要。日本のヒップホップシーンの黎明期から活動し、ヒップホップカルチャーを根付かせたと言っても過言ではないカリスマラッパーのZeebra

 

インタビュアーを務めるのは日本全国のクラブを中心にライブ活動を行い、“Club Queen”の異名を取る、ラッパーでR&BシンガーのLUNA。旧知の二人だからこそ、Zeebraを名乗る以前の話、プライベート、これからの日本のヒップホップシーンまで、余すところなく語ってくれた。

 

 

まずは「2foods 渋谷ロフト店」が提供してくれた「エバーエッグオムライス(プラントベースデミグラスソース)」を味わった二人。見た目は完全にオムライスなのに、卵を使っておらず、デミグラスソースも動物性の原材料を一切使っていない次世代のプラントベースフードに「うまい!」「こういうときは、ちょっと食べたらそれでやめるんだよ」と言いながら夢中に。勢いそのままにZeebraがオムライスを完食したところでインタビューがスタートした。

 

POSITIVE VIBE時代の貴重な音源を公開!!

 

LUNA:知っているようで意外と知られていないんですが、実はZeebraパイセンはもともとDJで、そこからラッパーになってという流れなんですよね。ラッパーになったきっかけみたいなのはあるんですか?

 

Zeebra:いわゆるちゃんとピッチを合わせてやるDJよりも前から、ラジオDJみたいなさ。USのラジオとかってフェードイン、フェードアウトでどんどん曲がかかるじゃん? ああいうのをやりたいって小学校から思ってて。親父がたまたま持っていたミキサーを引っ張り出してきて、小6ぐらいからそういうことをやっていたんだよね。

 

LUNA:一人でしゃべりながら?

 

Zeebra:しゃべったりはしなかったけど、とにかくミックスしていく。テンポはつながっていないんだけど、ミックステープみたいなのを作ったりしていて。まあ、その後ヒップホップにハマって、ちゃんとスクラッチとかするようにもなって。大体1987年ぐらいになってくるとさ、サンプリング機材がうまく進歩して、ヒップホップがサンプリングをすごくするようになったわけだよ。サンプリングで作られた楽曲がどんどん出てきて。それで「あ、これだったらDJも曲が作れるね」ってなるじゃん。俺も中1ぐらいのときとか、一時期はちょっとギターをやろうとしたんだけど……。

 

LUNA:バンド的なほうに?

 

Zeebra:「弦を押さえるの痛えな」みたいな(笑)

 

LUNA:(笑)

 

Zeebra:「あんま向いてねえな」って。曲を作るのとかあきらめていたんだけど、「DJの感覚で曲が作れるじゃん」ってなって。じゃあ「ビートを作ってみたい」ってなったわけ。

 

LUNA:最初はビートなんだ。

 

Zeebra:そう。それでビートを作ろうとするんだけど、誰かがラップしなかったらラップの曲にならないわけじゃん。

 

LUNA:確かに。

 

Zeebra:でしょ? 周りには同い年ぐらいのDJがいっぱいいて、それこそDJ OASISもいたんだけど、そのなかで多分俺が一番おしゃべりで。あと、当時は日本語でラップをする意識が全然なかったわけ。してる方々もいたんだけれど、なんか自分的にピンとこなかったというのもあって。俺は英語もしゃべれたから「じゃあ俺が英語でラップするよ」と。

 

LUNA:じゃあ、最初は英語で。

 

Zeebra:そう。17歳のときに歳をごまかして「J TRIP BAR」というお店でDJを始めて、自分が回すときに途中でインストをかけて歌うというのをやっていたの。

 

 

LUNA:最初はDJで、ちょっとビートも作って?

 

Zeebra:そうだね。ビートを作るといっても、あのときは本当に切ってつなげるだけみたいな。リズムマシンを1個ゲットして、その上にレコードを乗せて、また乗せてっていう感じ。MTRを使ってピンポン録音みたいなのをやってたかな。

 

LUNA:そのときのラップは韻も踏みながら?

 

Zeebra:一応途中で気がついて「ああ、韻ってこういうことなんだ」って、見よう見まねで。

 

LUNA:そのラップ覚えてる?

 

Zeebra:ちょこっと覚えてる。

 

LUNA:聴きたい(笑)

 

Zeebra:なんかね、当時のデモテープがあるんだよ。キングギドラを始める前はOASISDJで俺がラッパーっていう2人組でPOSITIVE VIBEという名義で英語でラップしていたんだけど、アフリカ・イスラムとアイス-Tのプロデューサーが日本に来たときにデモテープを渡していたりしていて、そのデモテープがたまたま出てきたんだよ。

 

LUNA:うわぁ。

 

Zeebra:当時、間に入ってくれてたDJ Cashとか、その辺の連中と久しぶりに会ったら「家から出てきたぞ」って言われて。

 

LUNA:ヤバ……。それはどこにも流れてないの?

 

Zeebra:たまにふざけてかけたりもするんだけど。聴いてみる?

 

 

 

 

Zeebra:これはビートも俺が作っている。ハタチで子どもができて、子どもを育てるために1回ちょっとヒップホップをあきらめたっていう歌です。

 

LUNA:すご! ラップかっこよ!

 

ヒップホップレジェンドたちに誘われる

 

Zeebra:当時、アフリカ・イスラムたちにデモテープを渡したりしてたら、「いいじゃん、お前ズールー・ネイションに入れ」って言われて。「コンピ作るからお前それに参加しろ」って言ってくれて、「やっとチャンスがきたぜ」ってなるじゃん? でも、残念ながらそのコンピ自体が最終的には着地しなかったんだけどね。

 

当時は彼らが年に23回日本に来てたんだよ。来るたびに会いに行って、いろいろ話してるうちに「1回ライブを観てもらいたい」って。ただ、俺たちだけでそんなにお客さんを入れてできるようなライブがなかったから、普段DJやっていたようなところを「オープン前にちょっと使わせてくれ」って場所借りてね。そこで俺とOASIS3曲ぐらいやったんだけど、そのときはアフリカ・イスラムとグランドマスター・メリー・メルとプリンス・ウィッパー・ウィップの3人が来てくれて。

 

LUNA:オーディションみたいになってる。

 

Zeebra:そういう感じ。

 

LUNA:ヤバい(笑)

 

Zeebra:3曲やって、1曲目と2曲目は反応薄かったんだよ。でも最後にいまの曲をやったらメリー・メルとかみんな立ち上がって超スタンディングオベーションで。最後にメリー・メルが俺のところに来て「ユア、バッドマザーファッカー!」って。もうあれで、俺の人生は決まりました。

 

 

Zeebraという名前に秘められた意味とは?

 

LUNA:POSITIVE VIBE時代のラッパー名としてはZeebra

 

Zeebra:いや、違ったんじゃないかな。

 

LUNA:え?

 

Zeebra:はじめは一番恥ずかしい……。そんなのもう黒歴史しかないよ。

 

LUNA:(笑)そこからいまのZeebraという名前に改名したということ?

 

Zeebra:あまり自分でもピンときた名前がなかったんだよ。それで悩んでいて、ある日ふと思いついたんだよね。まず音がよかった。濁点多めでガチャガチャしている感じが強そうで。まあ、シマウマ自体は強くないんだけどさ。

 

LUNA:そうだよね。

 

Zeebra:だけど、シマウマって白と黒で、それがバランスよく入ってるじゃん。これは俺に言わせてみると、陰陽なんだよ。世の中は陰と陽のバランスですべてが出来上がっていて、光もあれば影もないとこのバランスができない。俺は当時からヒップホップも超ハードコアなのも大好きだったし、楽しいのも大好きだったし、そういうのもひっくるめて陰陽だなと。それでシマウマ。

 

あと、アメリカ英語でシマウマっていうと「ジーブラ」って言うんだよな。でもイギリス英語だと「ゼブラ」なんだよ。で、日本だとそれこそボールペンがゼブラじゃん? だから普通に考えたらゼブラって言いそうなものなんだけど、俺そんなこと一切頭に浮かばなくて、あとでよく考えたら「あ、そうか。日本ではゼブラって言うのか」って。あとは「ジーブラ」っていうから「e」が1個多くても同じような発音じゃん? そうすれば検索に引っかかりやすくなるかなって……

 

LUNA:考えてないでしょ(笑)

 

Zeebra:(笑)その当時は検索なんかないけどさ、でもおかげ様でバッチリ引っかかりますからね。

 

次回は90年代のヒップホップシーンの雰囲気や、フリースタイルの上達を願う若手へのアドバイスを聞いていく。

 

▼Zeebraのインタビュー動画はこちら!

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