「メッセージを伝えるならレゲエ歌うしかない」|Zendamanインタビュー#1

Project2」のテーマである“Healthy Junk”の精神をもとに、ゲストに潜む相対する中身、二面性にフィーチャーしていく特別インタビュー。

 

今回は2000年生まれのレゲエアーティスト、Zendamanをフィーチャー。18歳で単身ジャマイカに渡りレゲエ修行を敢行、その様子を克明に映し出したYouTubeチャンネル「Zenda Mi Zenda」もレゲエファンを中心に注目を集めている。

 

聞き手は自身のYouTubeチャンネル「RayVlog」を中心に、HIPHOPとファンションカルチャーにまつわる情報を発信しているレイだ。

 

 

取材場所でもある「2foods 渋谷ロフト店」が提供してくれた「エバーチキンナゲット」の試食からインタビューがスタート。青いレモンタルタルソースに興味津々の二人は、鶏肉に見紛う味と食感にびっくり。Zendamanからは「ウィー ラブ ビーガン」というパンチラインも飛び出していた。

 

お前は一回ジャマイカ行ってカマして来い

 

レイ:今日はインタビューだけど、普通に友達なんだよね。

 

Zendaman:そう、友達。

 

レイ:あらためて自己紹介と、ご自身の活動について教えてください。

 

ZendaMan:最初に大事なことを言い忘れたんで、言っていいですか?

 

レイ:もちろん。

 

ZendaManZenda Mi Zenda

 

レイ:絶対にそれから始まるんだ。

 

ZendaMan:これが第一声なんで。ちょっと忘れてたけど(笑)。レゲエDJ、レゲエを歌う歌手をやっています。基本的に愛と平和、ポジティブバイブスを届けてます。

 

レイ:レゲエのRがネイティブな巻き舌の発音だよね。

 

ZendaMan:一応、ジャマイカ在住歴4年なので。

 

レイ:急にジャマイカに行って、4年も住んじゃう日本人はほとんどいないんじゃない? すごいよ。

 

ZendaMan:昔から、レゲエを歌うとなったらまずはジャマイカに修行に行けという、ルールというか暗黙の了解があって。「お前は一回ジャマイカ行ってカマして来い」みたいな。もともとレゲエがすごく好きだったから、18歳ころから住んでみたいと思ってて。

 

レイ:レゲエカルチャーに対するリスペクトをすごく感じる。今の日本にはラッパーがたくさんいて、「日本語ラップ」というジャンルがあるくらいだけど、実際に聖地に住んで文化を吸収しようという人は少ないじゃん。

 

ZendaMan:確かに。

 

レイ:リスペクトを持って実際にジャマイカに行ってさ、修行するなんてすごいし、勇気があるし、やっぱりレゲエだと思う(笑)。

 

ZendaMan:レゲエが好きだから。

 

レイ:それに尽きるよね。

 

 

やっぱりラッパーじゃなくてレゲエなんだ

 

レイ:レゲエをはじめたきっかけはなんですか?

 

ZendaMan:ただ単にすごいレゲエリスナーだったんだよね。お父さんの影響で5歳ぐらいからずっとレゲエを聴いていて。一生レゲエを好きで聴いていくんだろうなと思ってたんだけど、ジャマイカ人のアーティストが日本に歌いに来るときがあって。

 

レイ:そのアーティストは誰だった?

 

ZendaMan:ビーニ・マン。ジャマイカだとビーニーというのは「ちっちゃい」とか「背が低い」みたいな意味になるんだけど、その人は別に背が小さいわけじゃなくて。子どものころから、10歳ぐらいのときから歌っていたからそういう名前なんだよね。ビーニ・マンを観たときに、なんかわからないけど俺のなかで火がついて。絶対歌って、ジャマイカに行ってレゲエを極めようと思ったんだよね。

 

レイ:それがきっかけでいまでもやっているんだ。いま23歳だよね。

 

ZendaMan:そう、23歳。

 

レイ:そのライブを観たのはいつ?

 

ZendaMan16歳だった。その前は友達に誘われてコピーバンドでベースを3ヶ月くらい弾いてたんだけど、ビーニ・マンを観たら「俺はぜってーマイクだ」と思っちゃった。

 

レイ:確信したんだね。

 

 

ZendaMan:主張したいメッセージがあるならやっぱりマイクだなって。楽器ももちろん主張することはできるけど、そういうメッセージを明確に伝えるならやっぱり歌手になって自分の言葉にしないと伝わらないと思った。それで「ぜってーレゲエ極めよう」と。その一番の近道はジャマイカだと思ったんだよね。

 

レイ:年齢も近いと思うけど、一時期ヒップホップブームがあったじゃん。ヒップホップには感化されなかったのかな。

 

ZendaMan:まず歌い始めようと思ったときに、周りにレゲエやっているやつなんていなかったけど、ラッパーはけっこういて。岩手県出身なんだけど、岩手駅の下で毎週日曜日にラッパーが集まっているという噂を聞いたのね。

 

レイ:サイファーみたいな。

 

ZendaMan:そうそう、サイファー。遊びに行ったらたくさんラッパーがいたから、一緒にフリースタイルのセッションをしたんだよね。ビートをスピーカーで流して。

 

レイ:通っていたんだ。

 

ZendaMan:やっぱりレゲエやっている同い年がいないから、ラッパーのやつらに交じって刺激をもらいたかったから。だけど、自分の曲をはじめて書いたときに、完全にその曲がレゲエで。「ああ、俺はやっぱりラッパーじゃなくてレゲエなんだ」って(笑)。

 

レイ:やっぱり根っからレゲエだったんだ。

 

ZendaMan:そう。結局作ったらレゲエだったから「じゃあもう俺のスタイルはレゲエだな」と。ラッパーの友達ももちろん多いし、同世代も多いけど「俺のスタイルはこれだ」という。最初からずっとレゲエでした。

 

次回はジャマイカでの衝撃エピソード、日本とジャマイカのレゲエの違いなどを語ってもらう。

 

▼ZendaManのインタビュー動画はこちら!

 

 

その他のマガジン

ルーツは札幌のストリート|SWAYインタビュー動画

団地の自販機前からラッパーの道へ|MonyHorseインタビュー動画

“氷河期時代”を振り返る |Charluインタビュー動画

梅田サイファーの不思議な関係性|KennyDoes、pekoインタビュー動画

名前の由来を公開|SANTAWORLDVIEWインタビュー動画

Categories

カテゴリー